山陰の小さな漁村で未来の半農半漁を描く漁師。 小笹伸一朗さんに漁業と地域のこと、御津の海の環境について聞いてみた
海岸そばに注ぐ湧き水、海に落ちる夕日。夏は港で花火があがり県外からも海水浴客がおとずれる、1月にはとんど祭りで朱色の旗がなびく山陰の小さな漁村、御津(みつ)。
島根半島の数ある漁村の中で、湧き水が注ぐ里海はそう多くない。
松江市鹿島町にある500人未満の小さな漁村で出会った漁師。小笹伸一朗さんに
これからの漁業のこと、漁師だからこそ見える、ゴミや環境の話をきかせていただいた。
保育士から漁師へ
御津生まれ御津育ち、親子三代に渡る漁師の家柄だがもともとは保育士をしていた小笹さん。
2022年には御津フィッシャーマンズファクトリー(以下M.F.F.)という法人を立ち上げ、
保育士時代の教え子17歳と20歳を含む5名の漁刺集団をまとめるまでになった。
M.F.F.は魚を取って市場に卸すだけでなく、漁獲~製造~卸し・販売まで一貫して行っている。定置網を中心とした漁業を行っている。
小笹さんは「新しい漁師像」という在り方を日々かんがえ、実践している。
彼が地元で漁師に転職し、漁の現場で感じた違和感や可能性。
これから思いえが新しい漁師像がとても興味深い話だった。
保育という異業種から漁師になってどんな軌跡をたどってきたのか?
伺ってみた。
新人漁師から株式会社Mitsu Fisherman’s Factoyに至るまで
2016年に地元の御津で漁師になることを決意。
新人漁師だった小笹さんが感じたことは「違和感と可能性」だったという。
「集団で定置網という漁をするんですが、同じ船の漁師同士は口数もすくなく、殺伐とした雰囲気を感じました。」
「漁師になるにはそこに住まないと行けないし、供託金を出さないといけません。」
「特に御津はその金額が他よりも倍くらい求められるので漁師になるハードルも高く、
代々続いている漁師さんは、初代が払っているため供託金を払わなくてもいいが、新規参したい入は供託金を払わないといけないとか。。閉鎖的な空気感もあると思います。」
「朝に漁場に行って、魚をとれるだけとる。とれなかった日は次の日にとりに行くなど、どんぶり勘定で漁業をやっていることにも驚きました。」
「一つ一つの細かなルールや習わしなどにも先輩漁師に理由を聞いても「昔からやっているから・・・」という答えが帰ってくるのみで、明確な理由がなく、様々なシーンで違和感を覚えました。」
地元民であり代々漁師の家柄だからこそ漁師にはなりやすかったが、保育士という別業界をから参入したからこそ見えたこと。感じたことがあったと思う。
「自分たちが今後の漁業を担っていくことを考えた時に、いまとは違った漁師の在り方を考えないと先細りだと思って。」
「「こうしたらいいんじゃない?」を一つ一つ改善していくことで「伸びしろしかない!」と感じて1年後には半自営のスタイルに切り替えました。」
「最初に注目したのはべべ貝や亀の手でした。
身近にありながらも地元の漁師さんは取り扱わない。でも居酒屋に行くと意外と高額で取り扱われているので、これならいけるんじゃないかって。」
ほかの漁師さんが扱っている魚で営業をするのは難しい点も感じていたので、ひとつひとつ固定概念をはずして何ができるか?を実践していった小笹さん。
「あと、定置網では余った魚がでてきます。これを市場にいくと14〜15kgで200〜300円で売られてて、儲けにならないからその場で廃棄されることも多いんですが、美味しいのに!!って思っていて。逆転の発想で仕入れコストゼロのものは利益しかないから自分で営業先を開拓しよう!ってなって飲食店さんやスーパーさんに飛び込みで営業をかけていきました」
網にかかったけど利益にならないから廃棄される魚。これをきちんと値付けして食べてもらうこともとったものを活かす漁師なりのSDGsにもつながるかと。」
べべ貝、亀の手、直販による顧客開拓で徐々に自営業の仕事も軌道に乗りインスタグラムで発信力も高まっていくなか、最初は分かりにくかった漁師の姿を見えるようにして、可能性を広げていくことで少しづつ小笹さんなりの
新しい漁師像が見えてきた。
「最初に一緒に働いてくれたのは義理の兄でした。」
そこから3年くらいは時間がかかりましたが、漁師の魅力を週末だけ体験してもらうとか。SNSで発信することで徐々に理解してもらえて
前職のころにやっていた実業団のソフトボール仲間や、卸先の常連さんで休職中だった人、保育士時代の教え子(当時3歳)などに徐々に御津に移住してもらって働く仲間を増やしていったという。
教え子は今年で17歳、もうひとりの兄が20歳。
最初は「お金を貸して!」という電話相談からだったんですよ〜w」
「だったらうちで仕事の世話するからこっちで働いて稼がないか?ってなってその日に御津に移住させました」
小笹さんの熱い思いや、開拓してきた可能性。そして人柄やタイミングが重なって御津に若い漁師集団ができた。
「徐々に仕事も増え、可能性が事業として形になっていくことでこのメンバーでより事業を太く育てて行くほうがよい!となり2022年に法人化しました。」
以前からやっていた塩辛事業も、ある企業さんから譲渡を受けることになり正式な販売元にもなったことでM.F.F.は漁業から製造・販売まで一貫して取り扱えることに。
魚を採るだけではなく関連性のあるものも包括的に取り扱うことで会社としても一漁師としてもいままでにはない漁師像が形になっていく。
暮らしと仕事。人と自然が生きる場所「御津のポテンシャル」
小笹さんが漁師になって、改めて気づく御津の魅力・自然資源にまだまだ活かせるポテンシャルがあるという
「近海10分圏内では200kのマグロがあがることもあります」
「1トンちかいマンボーも昔からいます」
「水温の変化も関係しているのか、ジンベイザメも来ていました」
「魚も年々減っているといわれているけど、実はとり方を工夫するだけで僕らは4年連続水揚げが高水準を保ててますし
昨年は過去一番の水揚げ記録を出しました。」
「毎年決まった種類の魚がとれるだけでなく、アオリイカ、イサキ、イワシなどが年によってものすごい量であがることもあって
それが漁の面白さでもあります。」
「御津は里山と里海に恵まれ、湧き水も出る。人が離れていった田畑や山の手入れをすることで更に海が豊かになるので
今後は「農」にも着手していきたいです。場所ももう抑えました」
「あと、小さい漁村の良さを生かして海のそばにゲストハウスを作る事業も進めていきます。」
ポテンシャルは自然資源だけでなく御津で見れる風景や人々の暮らし・文化もあるという。
漁師さんだからこそ見える海のこと
日頃ビーチクリーンを行っていても沖の様子はわからない。海の上で、中で何が起きているか聞いてみた。
「僕らは定置網をよく気にしていますがブイにゴミが絡まったり、
一昨年はイガイが網に大量発生して網が沈みました。。」
「潮目のところにゴミの道ができている光景もありました・・」
「昔は流木が網に絡まっていてそれを取ったりしていましたが、いまはレジャーシートや釣り客のゴミ、生活ゴミなど人工的なゴミが特にめだっているような気がします」
「あと僕にはまだわかりませんが父が魚群探知機をみるとゴミの層があるって・・」
「実はあるあるなんですが、漁師さんがタバコを海にポイ捨てしたり、飲み物の缶を捨てたりっていうのもあって、
新しい漁師像を作っていく上でも僕らだけでもポイ捨ては禁止にしています。」
畑でもそういった光景を目撃することはあったが、一定数の漁師さんは海にゴミをポイ捨てするという現状があるとのこと。。
M.F.F.としておこなう清掃活動
「漁業組合を通さないといけないなど、特殊な事情はありますが、台風後や防風後など浜がゴミで埋め尽くされるので年に3回位は清掃活動をしています。」
「そのほか、御津の海水浴場は地元の方が重機を使って掃除したり、中学生がボランティア清掃してくれています」
今後、読者の方で清掃活動したい場合、一緒にできるのでしょうか?
「もちろんです!」「個人のと、M.F.F.のインスタでこれから発信していくので直接DMもらえるとうれしいです」
日本の漁村の「これから」をつくりたい
「僕たちは御津で地元の方とも相談しながら一つ一つ漁師像を作ってきましたが
個ではなく集団になり地域や農業、観光にも視野をひろげていくとまだまだやれること
やりたいことがいっぱいあります。
御津のポテンシャルを活かし、自然と人の暮らしや文化を含めてこれからの半農半漁のスタイルをつくることで
日本の小さな漁村の新しいモデルになりたい。」
漁師に興味がある、ビーチクリーンを一緒にやりたい!という方へ
M.F.F.のInstagramはこちら、
小笹さんのInstagramはこちら
漁師に興味がある、ビーチクリーンを一緒にやりたい!という人は
「直接DMください!喜んでお話します!」とのこと
さいごに
今回インタビューをした目的は若い漁師集団がどんな人たちなのか?漁師さんだからこそ見える環境問題や、海ゴミについての活動の話を聞くことだったが、小さな漁村から日本の未来を思い描く小笹さんの言葉にとてもワクワクした。御津は個人的にも夏には必ず泳ぎに行く大切な場所。何十年も変わらなかった漁村がいま少しづつ次世代に向かって変化をしている様子を伺えたことに感謝。
一方この海岸では県外の利用客も徐々に増えている。残念なことは夏に海水浴やBBQを楽しんだであろう人たちが、そのままゴミやBBQ網のなどを捨てていくこと。
一部の人の心ない行為が正しい行動をする多数の人に与える影響は大きい。立入禁止など閉鎖される可能性もゼロではない。意識あるみんなで自然と公共の場が美しくたもたれるよう、この記事が一助になることを望む。