しまねLINKメンバー紹介:中国の孔子の第74代の子孫、好きなアニメはドラゴンボールの孔くん活動についてきいてみた
知り合って8か月後に初めて知ったこと。
孔子(思想家)の74代目の子孫で好きなアニメはドラゴンボール。
二胡を演奏し(6歳から6年ならっている)、
ヒップホップのフリースタイルができる。サッカーが大好き。
将来は山東省料理をベースとした中華レストランを経営する夢を持つ好青年。
山東省から日本の奈良県へ、そして島根県の松江に移住し2022年のビーチクリーンからはじまり、しまねLINKのメンバーとなってくれた孔くんにあらためて、故郷の話、しまねLINKにはいるまでの経緯や環境についての思いを聞いてみました。
山東省でのこと
山東省は中華人民共和国の省の一つ。黄海に面する中国東部の省で、道教や儒教などの文化遺産でしられています。そして孔子の故郷なのです!
中国のなかでも平均身長が高く平均が約180cmもあるのが特徴。
孔くんの身長は160cmだが「僕は特別です!」と照れた笑顔で教えてくれた。
孔くんは蘇州の大学でビジネス日本語学ぶ。
そもそも日本に興味を持ったのは子供時代らしく。
小学校の近くにある売店(教科書とか文房具とかを売っているお店)で日本の漫画コーナーがありそこでドラゴンボールやコナンに出会ったとのこと。
子供時代は日本の歌の「桜」など哀愁や情緒を感じる曲調の音楽も好きだった。と言う。
孔くんが6歳の時にご両親は彼に音楽か絵どちらを習いたい?と聞かれ
「音楽を習いたい!」と言ったのが始まりでそれから12歳までの6年間は二胡を習っていたとのこと。
大学にいくまでに日本人との交流は?
「大学1年生の時、友達と蘇州にある日本人学校に入ったことがあります。」
本当は一般の中国人は入れない場所に入ったという、まさに若気の至りのようなエピソードを恥ずかしそうに語ってくれた。
「とにかく好奇心が勝ってトイレの上の扉から日本人学校に友達と二人で侵入しました。」
「すぐに警備員に見つかって捕まって。警察を呼ばれたんです。」
「上海にある日本の領事館にも報告されてしまって日本の領事館の人からもいくつかの質問をうけました。」
いつもは紳士な孔くんだが自分の好奇心に突き動かされるアクティブなタイプなのは昔からのようだ。当時日本と中国の関係は緊張感がたかまっていたのもあり、とても周りに迷惑をかけてしまったと反省もしていた。
初めて日本人の友人ができたのは?
奈良県に1年間交換留学生として学んだ時でした。初めての日本の印象は社会や学校のルールをちゃんと守っていることが印象的だった。
例えば、、、学校の場合、中国はカンニングするけど、日本人はカンニングしない。
論文を書くときには中国では他の論文をいくつか読んで論文を引用するが、日本人は引用するより自分の文章で書き直す。など、、
もともと日本人のイメージとしは「礼儀正しく優しい。」だったがそのイメージ通りだったとのこと。
日本にきてより日本のことを好きになれた、一番のポイントは
日本人が自分や人の言ったことを素直に信じれる良心をもっていることだと言う。
中国で環境活動はしていましたが?
「してはいなかった。」という孔くん。
「山東省に有名な川があるが夏になると川が臭くなるけど誰もきにせず、生活し環境に対する意識は感じられなかったです。」
「環境に対する責任は個人ではなく政府が追うべきだと考えていると思います。」
川や道を整備する、守るのも国の団体。というのが孔くんから見たいまの中国の方たちの意識のようだ。日本もかつてはタバコやゴミのポイ捨て、不当な廃棄などでとても不衛生な時代があったが、人や社会は様々なプロセスをえることで変わっていくものかもしれない。
しまねLINKを知ったきっかけは?
「高尾さん(しまねLINKメンバー)からビーチクリーンのイベントに誘われて参加しました。」
「最初は環境ではなくて、色んな人と出会ったり話す機会だと思って参加しました。
大学院で研究しているとなかなか社会に関わるきっかけが少ないんです!」
孔くんがしまねLINKのイベントに初めて参加したのは2022年6月10日。
御津海岸でのビーチクリーン。
その後、7月に北浦でマイクロプラスチックのイベントにも参加してくれた。
そして7月中に高尾さんにしまねLINKに入りたいことを告げる。
参加回数を重ねることで自然とメンバーと仲良くなりメンバーにも受け入れてもらえることを実感できたので高尾さんにメンバーになることを告げたとのこと。活動の中でメンバーの熱を感じ環境への意識も変わっていったという。
8月の出雲イオンのときには正式にしまねLINKのメンバーとして出雲イオンのイベントにスタッフとして参加。
「今では自分の命の一部分としてしまねLINKの活動に参加しています。
しまねLINKのような活動は仕事などと違い人生をかけてやりたいことです!」
海の印象は
「きちんと海を眺めたり浜を歩いたりしたのは島根県が初めてだった。すごくきれいだと思った。
空と海が同じ美しさ、同じ青さだと知ってとてもびっくりしました」
「唐の時代の詩人王勃(おうぼつ)の「落霞与孤鶩斉飛、秋水共長天一色」という詩を学校でならっていたが、その景色がほんとうにあることを御津で初めて知った。
それ以降、空と海が同じ青さに映る景色をみると、王勃の詩を思い出すんです。」
山東省でも海のないエリアで育った孔くんにとって海で何かをすること自体が初めてだったという。
海ゴミをみた印象は??
中国のゴミが日本の海岸に漂着していることを知って「恥ずかしい。あやまりたい。。と思いました。」
中国の子供代時はゴミのポイ捨てもしていたがその時は環境に影響をあたえることなどは考えることもしなかった。
中国では公共のスペースに沢山ゴミ箱が置いてあるが日本はゴミ箱が少ないことにもびっくりした。
これまでLINKメンバーとしてでやってきた活動で印象的なことは?
「一番最初に御津でビーチクリーンしたとき、自分のように海外から来ている人もいたり、御津の地元の親子もいて、みんなで一緒にビーチクリーンをしている状況が印象的でした。」
「特にこどもに伝えたいとても大切なことと感じました。」
「出雲イオンでアクセサリー作りをした時にしまねLINKのチームワークや、日本人の中に中国人として入ったがチームの一員として貢献できたこと。にも感動しました。」
しまねLINKにはいってなにか意識や行動に変化はありましたか?
「2つのことがあります、1つは環境問題は個人の責任と考えるようになったこと。国などにまかせっきりではなく。個人として取り組む必要性や重要性があると考えるようになりました。」
「環境については20年後30年後を見て今から守る必要があると思います。」
「もう一つは、例えば日本に住みたい場合、日本の環境や人の価値観を知ることが重要だとしまねLINKにはいって気づいた。」